令和の時代に新社会人になるとしたら、自分はどうするだろう。そんなことを少し考えた。昭和と平成でそれぞれ約30年の人生を過ごした老兵であるが、ずいぶん昔に希望と不安に満ちた新社会人となった経験は確かにある。ひどい就職難の時期ではなく、理工系学生は就職にはこまらず、文科系の学生もどこかには潜り込める時代であった。ところが私ときたら、要領が悪いのかスペックが低かったのか、希望の業界ではどの会社に行っても相手にされず、10月に入っても就職先が決まらなかった。大学ラグビーのリーグ戦が始まる前に進路が決まると思っていたので、落ち着かない時期を過ごした記憶がある。
ラグビー部の1年先輩が勤務しており、同学年の選手の入社が1名決まっていた企業から後に内定をもらった際には、人並みに社会人になれることが本当に嬉しかった。急いで卒論を書きあげて提出すると、ゼミの教授はおおらかな気持ちで受け取ってくれた。今でいう、コピペ(コピー&ペースト)部分が半分以上で、自分の文章は半分以下の内容であったことは時効である。
入社して配属されると、そこは比較的新しい事業を展開する部門であった。しかも、長い研修の後には、システムエンジニアリング部への配属になった。営業でも、マーケティングでも、エンジニアでもなんでもやりますという姿勢だったので、大学の大先輩が部長であったこともあり、拾ってもらえたのかもしれない。どうも、このへんまでは大学の人脈で道が開かれていたようである。規模の小さな大学であったが、授業料が大変安かったことも含めて、本当に感謝している。
ここまで読んでいただくと明白だが、就職も自分が特別希望していた業界ではなかったし、配属も受け身の姿勢で会社に任せた。しかし、適性だとか忙しさで悩む以上に仕事が面白くなり、上司・先輩・同僚に恵まれて、10年近くエンジニアとして仕事をすることが出来た。このころに、コンピュータの基礎を学びプログラミングの経験をしたこと、外資系顧客を担当するために英会話を勉強したこと、財務会計のシステムをサポートするために英文会計の学校に通ったことなど、実はその後の40年近くにわたる社会人生活の基礎を作ってくれた。
自分で計画したわけでもなく、テクノロジー・英語・ファイナンスというビジネスの三種の神器ともいえることを勉強する機会を、社会人最初の数年で得たのは本当にラッキーであった。その後、営業部門・製品事業部と経験することになるが、三種の神器を勉強したことは大いに役立った。決して、それぞれの領域でスペシャリストになるほどの詳しい知識ではなく、継続して勉強するのが得意ではないタイプなので、使わない部分はどんどん錆びついているのだが。
若い人に自分の経験を話すと、ただの自慢話のように聞こえるのではないかと思ってしまう。それでも、たまに自慢話をしてしまうのだが。冒頭の令和の時代に社会人になるとしたらということを考えても、結局自分の経験に戻ってきてしまう。若い人が、自分のやりたい仕事や適性にたいして確信があり、その道に進むのも大いに良い。一方で、やりたい仕事や適性がそれほど明確でなくても、一般的にはこのほうが多いと思うが、与えられた環境の中で仕事に没頭する中でも成長の機会は必ずあると思う。
先ほど言いましたように、テクノロジー・英語・ファイナンスの勉強はおすすめです。最近の学生は昔の学生より勉強していますので、きっと社会人のスタート時点では私などよりもずっと基礎が出来ているでしょう。それから、成長している業界や、比較的若い人に挑戦をする機会を与える企業に就職すると、個人の成長の機会も多くある。そこには、優秀な先輩とやる気のある同僚が多くいる可能性が高く、先輩から吸収をしたり同僚から刺激を受けたりする機会も多いでしょう。若い時には吸収力が高いので、切磋琢磨される環境が良い。会社の規模は問いませんが、伝統的な大企業では業務の一部を任されることが多く、成長につながる機会が限定されるかな。あるいは、時間がかかりすぎる。もちろん、大企業でも色々な会社がありますので、一概には言えませんが。また、大企業では教育制度がしっかりしているケースが多いので、社会人の基礎を学ぶには良いケースもあります。
さて、日本ストラタステクノロジーはどうだろう。1980年から続いていますので、流行り廃りの多い業界では伝統的と言っても良いですね。決して、Fortuneランキングの上位に出てくるような大企業ではありません。無停止型の技術をDNAとしながら、顧客のディジタルトランスフォーメーションを支援するためにエッジ・コンピューティングの製品を提供するという部分は成長する事業領域です。社員にとって魅力のある会社にすることが、顧客満足にもつながります。オープンにコミュニケーションしながら、良い環境を作りたいと考えます。