現状維持バイアス(英語ではStatus Quo Bias)とは、何か問題が出ない限り、現状維持を望む傾向のことです。少し難しく言うと、変化することによって得られる可能性がある「得(リターン)」よりも、それにより失う可能性のある「損失(リスク)」に対して、過剰に反応してしまう傾向のことです。
私自身は、日本人の特質的な精神構造として現状維持バイアスがあるのではないかと思っていました。日本では政権側の政治家に不祥事があっても、選挙時に公約した経済指標を達成しなくても、めったなことでは政権交代がおきません。また、ICT業界にいると経験することが多いのですが、既存のシステムの更新機会に新しい技術の提案をしても、現在のシステムの延長線上のものでよいという判断がされることが多くあります。数字で新しい技術を採用したシステムの優位性を説明しても、既存のシステムをそれなりに安定使用していた実績や、ユーザーの慣れなどが理由となります。人材市場においては優秀な専門職や管理職の人材が、残念ながら活躍の場を得られていないときにも、転職への志向は一般的に低く感じられます。もちろん、自己評価が高くないケースもありますし、単純に給与を含めた待遇がよいので転職に積極的になれないケースもあります。それにしても、諸外国と比較して外資系の一部の業種を除くと、やはり積極的で横断的な人材市場ができていないと感じます。
「ゆでガエル現象」は日本が変化をせずに衰退することのレトリックによく使われます。カエルは、熱湯に入れると当然、驚いて逃げ出します。しかし常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げるタイミングを失い、最後には死んでしまうそうです。このことも、現状維持バイアスをわかりやすく説明する例えです。政権交代がなければ、政策での切磋琢磨をする緊張感のある政治はできないので、国家として他の先進国に遅れて、ゆでガエルになるリスクがあるでしょう。システム更新をする機会があった際に、既存の技術をベースにしたシステムに拘泥していると、気が付いた時には市場におけるベストインクラスの技術を取り込む環境が失われ、新しい機能を柔軟に取り込むことのできない、ゆでガエルのようなシステムになるリスクがあるでしょう。優秀な専門職や管理職の人材が転職をして新しい職場で活躍をしたり、起業をしてチャレンジしたりする機会が多い国のほうが、各種の産業が活性化して経済がゆでガエルにならないのではないでしょうか。
しかし、実際には現状維持バイアスは日本に固有のものではありません。Status Quo Biasという英語を冒頭で使ったように、この言葉自体は欧米の行動経済学の学者が説明したものです。現状維持バイアスは、人間がまだ狩りをして動物のように生活をしていた時代の遺伝子が残っていて影響していると言われています。その時代に未開の地へ行く事は、大きなリスクを伴い命の危険が伴います。だからこそ、その時代の人は現状であることを望み、それが生きるために必要な選択であり正しい選択だった訳です。
「人間は合理的な判断をする」という経済学の原理に従わず、合理的な判断をしないことがあります。その際に人々の心理に働いているバイアスなどを研究テーマのひとつとしているのが行動経済学です。損失回避したいという意識、つまり人間は利益に対する満足よりも損失・不利益に対する不満を大きく感じてしまう事実。また、ポジティブな情報より、ネガティブな情報に価値を見出して重点を置くこともあります。さらには、自分が所有しているモノに高い価値を感じ、所有しているモノを手放したくないと感じる傾向もあります。
現状維持バイアスが起こす現象に近い現象だと思うのですが、時として業界をリードする優秀な大企業が、革新的な技術を持った新興企業になすがままに敗れ去ることがあります。ハーバード・ビジネス・スクールのクリステンセン教授は、このことを「イノベーションのジレンマ」という概念で説明しました。一言でいえば、抜本的なイノベーションを行うか、既存技術の延長路線で行くか、という戦略の間でジレンマに陥ってしまうことを指しています。
優秀な大企業は既存の商品に関して持続的なイノベーションを行って高い収益を上げていますので、かえってひょっこりと現れた破壊的なイノベーションに遭遇した場合に、収益率の高い既存の商品とのカニバリズム(共食い)を恐れ、また既存の商品に比べて市場規模が小さいがゆえに、破壊的なイノベーションを軽視してしまいます。
優良企業は顧客や株主に忠実だからこそ、持続的なイノベーションを愚直なまでに重ね、やがて顧客のニーズを超えてしまいます。ところがその間に空白地帯が生まれ、顧客はそれまで魅力の少なかった破壊的なイノベーションに注目するようになり、やがてそれは広く浸透し、既存の商品にこだわった大企業は退出せざるを得なくなるというわけです。
このようなイノベーションのジレンマに陥ってしまった企業はたくさんあります。アメリカDVDレンタルショップのブロックバスター社は、ネット配信のネットフリックスの前に成す術もなく敗れ去りました。日本の自動車産業は隆盛を誇っていますが、そこに、テスラのような新興企業が電気自動車という、既存のガソリン自動車を「破壊」してしまうような破壊的イノベーションが現れるわけです。その時、日本の自動車会社が仮に電気自動車を、収益が低くカニバリズムを起こしてしまうからといって無視していると、ひょっとしたらイノベーションのジレンマに陥ってしまうかもしれません。
デジタルトランスフォーメーション におけるエッジでもイノベーションが生まれる余地があります。従来のアプローチの継続ではなく、イノベーションを生み出すことによってストラタスはデジタルトランスフォーメーションを促進させていきたいと考えています。これから数年間のロードマップはそのイノベーションを具体化したものです。日本のお客様には現状維持バイアスを乗り越えて採用いただき、日本におけるデジタルトランスフォーメーションのパートナーとして選ばれる存在になりたいと考えます。